「あっぢぃ………」
其処は黒たちが通う学校、××県立蒼瑛高校。
その新校舎内、ひとつの教室の前に、榊枝樹輔の姿はあった。
「くっそ………、何で夏休みの真っ最中だってのにわざわざこのオレがガッコなんかに来なきゃなんねぇんだっつーの………」
樹輔はそう一人毒づきながら、足を踏み鳴らしている。
当然。
彼も好きで学校などに来ているわけではない。
成績不振による補講授業。
詰まるところ、樹輔は補習の受講者に選ばれてしまったのだ。
樹輔は不機嫌そうに窓からの風景を睨む。
空は嫌味な程に快晴で。
木々は愉快な程に碧い。
それはあたかも自分を嘲笑っているかのようで、無性に腹が立つ。

がらり

そうして樹輔が苛立っていると、唐突に目の前の教室の扉が開いた。
中からぞくぞくと溢れ出る生徒達。
どうやらこのクラスも授業が終わったようだ。
その中には、寸足らずで人波に埋もれ気味な澪の姿も見える。
澪はきょろきょろとあたりを見回し、やがて樹輔の姿を見つけると嬉しそうに手を振りながら駆け寄ってきた。
「おせー」
そんな澪を適当にあしらう樹輔。
だが澪は然して気にしていない様子でその長い髪を揺らす。
「えへへ、ごめんねぇ。授業長引いちゃって………」
「………」
この時期。
学校にいる生徒達は大まかに三種類に分けられる。
一つは部活に出ている生徒。
一つは補習を受けている生徒。
そして最後に、講習を受けている生徒である。
それは澪も例外ではない。
彼女は学校に講習を受けに来ているのであった。
「………お前って、バカの癖に頭はいいのな」
「む。バカってなんだよー」
そう。
澪はこれでいて普段からは想像できない程、頭がいい。
クラスでは常に一桁の順位を保持している。
因みに樹輔の順位は後ろから数えて大体澪と同じ順位だ。
「あーーー!考えるだけで腹立つ!!」
樹輔は腹いせに澪の頭をやや乱暴に撫でまわす。
「にゃぁ!?髪の毛をくしゃくしゃするなー!!」
澪はじたばたと暴れるが、彼女の細腕では樹輔の腕を外す事は叶わない。
「ん〜!ん〜〜〜!!」
「はっはっはっ」
樹輔の手をどうにか払いのけると、澪は乱れた髪を押さえつけた。
「もぉ………、キスケったらひどいんだ」
彼女はぶつぶつ不平を言いながら、手櫛で髪を整える。
両手で髪を弄る彼女の姿は、なんとも可愛らしい。
樹輔は思わず澪をじっくりと見つめてしまう。
「………ん?キスケ、どったの?」
「――――――っ。………いや、なんでもねーよ。んじゃ、帰るか」
「うん!」
澪は歩き出す樹輔の手を拙い仕草で握る。
樹輔は突然の事に戸惑い赤く染まった顔を宙に背けるが、澪は構わず繋いだ手をさらに絡ませ、嬉しそうにはにかんだ。







「はぁ…」
樹輔は家に入って見えなくなるまで手を振り続ける澪に応えると、後ろの壁にもたれ掛かり安堵の息を吐いた。

《不思議のアリス》。

失踪事件。

あの事件以降、オレは出来るだけ澪を家まで送るようにしている。

きっと。

オレは彼女が心配なんだろう。

思った以上に、オレは彼女を無意識下で意識している。

矢張り、オレは彼女の事が好きでたまらないらしい。

「………って何を考えてんだよオレは!」

オレらしくねーって、ほんと。

何でオレがアイツのことなんか考えなきゃいけねーんだ。

………。

「………帰ろ」
樹輔はひとりごちて、身体を切り返すと、

「はろろ〜ん、少年。元気してますかー」
「っ!」

眼前に、痩身長躯の奇妙な男が立っていた。

髪の色は白には程遠い翳んだ灰色。

眼の色は青には及ばない昏い藍色。

その口を三日月のように裂いて笑うその姿は、あたかも暗闇を皮肉る案山子のよう。

「………お前、いつから其処にいた」
樹輔はその男を睨みつけながら、誰何する。
「ひゃはっ、おいおい、そんな構えんなって!別にとって喰ったりするわけじゃねーんだから。オレ様はちょっと道を聞きてぇだけだよん」
だがその男は肩を竦め、親しげに話しかけてくる。
樹輔は警戒しつつも、聞き返す。
「………道?」
「そ。蒼瑛高校ってところを探してるんだが………」

その男の口から出たのは、いつも親しみ慣れた彼の通う学校の名前だった。










「はい、ココが蒼瑛高校」
「おー、でけーなー」

蒼瑛高校の前には、二つの影があった。

先ほどの男と、榊枝樹輔である。

何故樹輔がまたしても学校にいるのかというと、

『あー………、そこだったらこの道を右に曲がって、そっから少し進んだら左側にでっかい坂が見えてくるから………』
『右?右って上のことか?』
『………』

といった次第であり、半ば巻き込まれた形で樹輔はここにいるのであった。

「………はぁ」
「おいおい、なに辛気臭い顔してんだよ。溜息吐くと幸せが一つ逃げるんだぜぃ?」
「………誰の所為だと思ってんっすか………」
「ひゃはは!!ちげーねぇ!!」
飄々と立つその男は愉快そうに笑う。
耳障りだが、不愉快でない笑い声。
かれの声はそんな矛盾に満ちている。
「………で。あんたはなんで学校なんかに来たがったんすか?」
樹輔はさっきから疑問に思っていたことを何の気なしに口にした。
男は学校から目を離さず応える。
「あぁ、まぁちょっと野暮用でな。この学校に来て確かめなきゃいけないことがあったんよ」
「確かめたいこと?別にうちの学校に変なところはないと思うんだが………」
「いやぁ、あるある。大ありだっつーの」
「………はっ?」
「お前も気付いているだろう?この学校には歪みが多すぎる。歪みが歪みを招き、より大きな歪さを生み出している。オレ様はそれを確認しに来た」

――――――ぞくり

突如、樹輔に悪寒が走る。

それはまるで自分の逆夢が当たってしまうかのような、厭な予感。

「それだけじゃねーぜぃ?あともう一つ。確かめに来たことがある」

すると男は不意に学校から眼を外し、樹輔と眼を合わせた。

「――――――榊枝樹輔。お前だよ」

瞬間、空気が凍る。

噎せ返すような熱気は一瞬で凍てつく。

学校から響く喧騒は突如として遮断される。

夢幻(キューブ)


それは打ち捨てられた匣庭のように外界とは無縁で。

それは吐き出された感情のようにその性を剥き出しにしている。

「前回の事件。二つの胎児が共鳴し合ったあの春。お前も知っている筈だ。織神澪が失踪したあの時、お前の能力もその片鱗見せていたんだよ」
「な、何を………」

気がつけば、樹輔はその男の眼から視線を外せなくなっていた。

男の眼に映る自分の顔。

それは淵に沿って濁り、歪んでいる。

「見鬼の眼じゃぁないが、お前は確かに視え過ぎている。おそらく“歪みを視る”事に関してはあの燈崎の嬢ちゃんも凌ぐ。嬢ちゃんの眼はどちらかと言えば表面の事象を視ているが、お前は違う。お前が視ているのは、その起因」

その姿はいつの間にかその男の姿に成っていた。

男の眼に映る彼自身の姿。

鏡を覗かない限り在り得ないソレは、だが確かに映っている。

つまり。

つまり、オレは誰かにとっての鏡なのかもしれない。

「ひゃはは、だからこそお前は鴉が持つ不調和に気がつけたんだ。本来なら気付くわきゃない。アイツは、他の人間と何一つ変わらないからな」

その像は僅かに仄めいたように揺らぎ、黒い翳みがソレを侵食していく。

かと思えば、急にその像はパズルのようにバラバラな欠片になって散らばり、出鱈目にその姿を変えていく。

「まぁ、ひゃは、その眼はまだまだ未熟みたいだがな。お前アイツはこの世界に適応出来ない異物と思ってるらしいが、それは違うぜ。あぁ、全然違う。むしろ逆だよ。お前がアレに気持ち悪さを抱いたのは、アイツが異物でもないのに、わざわざそうあろうとするからだ」

眼の中の像は更に歪曲し、決して留まらないその姿は、最後に案山子の姿になった。

「まぁしかし――――――それでもその歪みに気がついたお前はとっくに常軌を逸している。つまりお前も、“こっち側”の資格があるということだ」

そして気がついた。

この男もきっと自分と同じなのだ。

自分と同じ鏡であり、だからその姿は留まらない。

誰の鏡でもあるし、誰の鏡でもない。

つまりその本性は案山子。


能無き、スワローヘッド。


「ひゃはは――――――おめでとう榊枝樹輔君。お前もとっくに、常軌を逸しているよ」


オレハ、コイツト同ジ、鏡面人格




「――――――なーんてな」

すると男は唐突に眼を外し、樹輔は彼から解放された。

「………っ」
樹輔はそこで自分の身体から噴出した汗に気がつく。
そして自分が此れ程までにこの男に支配されていたのだ、と理解った。
「………さーてと。ひゃはは………、目的も無事達成したし、オレ様はそろそろ帰るとするかな」
男はそう言って、踵を返す。

樹輔はそれに胸を撫で下ろす。


何故、突然樹輔の前に現れたのか。


何故、樹輔の存在を知っていたのか。


何故、樹輔の眼について知っていたのか。


様々な疑問が頭を渦巻く。

しかし、それでも。

樹輔は現段階で今すぐにでもこの男から離れたかった。

「………あぁ、そうだ」
だが男は唐突に再び身体を翻す。
「――――――っ、な、なんだよ。まだなんかあんのか?」
「そういや、自己紹介がまだだったな」
「い、いや、いいって!いいから早く行けよ」
樹輔は苦笑いを浮かべ手で払うような仕草をするが、男は快活に笑いながら、ソレを辞する。
「ひゃはは!否々、遠慮するなって!コレも何かの縁。名前ぐれぇ言わせてくりよー」


彼は手を大きく広げ、謳うようにソレを口にする。



「――――――オレ等の名前は
獨無迷路(ヒトナシメイロ)。人はオレ等のことをヒトデナシと呼ぶ」



それが榊枝樹輔と獨無迷路の初めての邂逅。


少年にとって人生最悪のファーストコンタクトである。












向日葵の小唄

纏虚
















Back
Next
Return