――――――  の噂、知ってる?
――確か、月の綺麗な夜に忽然と現れるっていう真っ黒な服を着た金髪の悪魔のことでしょ?
――――――眼は血のような真紅色なんだって
―――怖いよね
――何をしても死なないんだって
――――えぇ、やだぁ。やめてよぉ
――案外、身近な奴だったりしてね
―――――もう、やめてったら!
―――あっ
――どうしたの?×××
―――……そういえば今日って―――満月だよね
―………×××?










向日葵の小唄

織式










私の周りには誰もいない。
誰かいた筈なのに、今わたしの前にあるのは濁った深闇
初めは些細な変化。
本当に些細で、他愛も無い豹変。
だが、それは確実に。
確実に全てを侵食していく。
そしてその侵食箇所はまるで壊れた画像のようにブレて、そのブレは段々と大きく、激しくなるに従って、その声にすらノイズがかかるようになり、割れてくる。
果たしてソレが誰だったのか、判別もつかない程に画像は砂嵐に変わり、最期は唐突に。
――――――プツンと消える。
融けるように消えていったかもしれない、
砂のように崩れていったかもしれない、
液体のように浸み込んでいったかもしれない。
けれどそんなことは一切合切何にも影響を与えることは無く――――――それは夢が決して現と交わりはしないように――――――結果は常に同じ。
何時だって。
何処だって。
今、この時だって。

これから先の永遠も。

ずっと。ずっと、ひとり――――――



「澪!!」
「はにゃっ!?」
樹輔のその怒鳴るような声で、彼女――――――織神澪は目を覚ました。
「………キスケ?」
「てめぇ、いつまで寝てんだよ………。もう昼休みだぞ」
榊枝樹輔は不機嫌そうにそうごちる。
それを見て澪はようやくと身体を起こした。
「ん………、起こしてくれてありがと」
「ふん………、お前この頃寝不足なんじゃねぇの?最近いつも机にうつ伏せてるよな」
「いやぁ………、申し訳ないです」
樹輔の言う通り、澪は最近授業中によく惰眠を貪るようになった。原因は寝不足、というよりは慢性的疲労と言った方が語感は適切だろう。理由は定かではないが、新しいクラスになってまだ間もないので、少し疲れているのかもしれない。
「んーっ」
澪はその高校生にしてはやや小さい身体を机から起こすと、一度大きく背伸びをした。
「ふぃー………、よく寝たのだー」
「そりゃぁ午前中ブッ通しで寝てりゃぁな」
「えへへぇ」
「照れるな、バカ」
「それよりさ、それよりさ!早くお弁当食べよぉ」
澪はそう言いながら自分のショルダーバックから弁当を取り出す。その弁当箱は少し小さめで桃色をした、女の子らしい、可愛いデザインをしている。ちなみに樹輔の方はと言えば、焼きそばパン二つにコーヒー牛乳といったあからさまに購買で調達した趣の昼食である。
「………起きたばかりでも飯は食えるのか」
「うん」
「………学校に何しに来てるんだ」
本来、学校の中でも決して生活態度がいいとは言えない樹輔でさえ思わず言ってしまった。
「………キスケ」
「あっ?」
「キスケに会うために、学校来てるの」
澪は頬を桜色に染めながら、はにかんだ笑顔を樹輔に向ける。
「………、………はっ?」
樹輔はまさかの不意打ちにしばし放心。
「………」
「………」
「………」
「えへへ」
「………な」
「うん?」
「………な、ななな」
「?」
「なななななななななななななに、を……!」
「??」
「………お、お、お前!!ばば、ば、バカじゃねぇの!?」
苦心の果てに出た言葉は、そんな稚拙極まりないものだった。
「えっ……、なっなんで?」
「うるせぇ!バカ!」
「バカ!?」
「この、織神澪のバカ神澪!!」
「ばっバカって言わないでよぉ!」
「何度でも言ってやるよ。ばーかばーかばーかばーか」
「うぅぅ、きすけがいぢめるよぅ……」
「このアホ!ドジ!あんぽんたん!」
「ひぅ、ひどい………。な、なんでそんなこと言うのかな」
気がつけば澪の目は既に潤んで、その大きく丸っこい瞳からは今にも涙が零れださんとしている。
「はん、ほんとお前って涙腺ゆるいのな」
「うぅ、きすけがひどいんだ」
「たく、お前がいつまでもそんなんだから、みんなに高校生に見られ……」
「………う、うわぁん!」
「っ!?」
澪はついに大粒の涙を落としながら、泣き出した。
そんな澪に狼狽する樹輔。
「おっ、おい、なに本気で泣いてんだよ!」
小学生からの付き合いでありながら、樹輔は未だに澪のウィークポイントをよく掴めていないらしい。
「わっわかった!わかったから泣き止めよ、なっ?」
「うぅ、ひっく、ひぅ………」
「あぁ、もう、だから泣くなって!」
「うぅ………、あぅう………」
「ちょっ………、誰か、ヘルプ!!」
こういう時に限って友達というのは結構酷い。
それはまさに暗黙の了解の如く、誰も樹輔の方を見ようとしない。
樹輔が困り果てていると、急に樹輔の頭の上でひとつの電球がきらめいた。
「………、………あっ」
言うが早いか樹輔はポケットの中に手を突っ込み、
「じゃ、じゃん!」
効果音付きで取り出したのはイチゴ味のアメ。小学校の遠足でよく先生が持っていた奴。
「てぃ!」
「あぅ!?」
それを包装から取り出すと、樹輔は澪の口にアメを押し込んだ。
コロコロ
「………」
「………」
「………」
「………」
コロコロ
「………」
「………」
「………」
「………」

「ほら、うまいだろ?」

「………あまい」
さっきの涙は何処へいったのか、澪はそのアメを嬉しそうに舌の上で転がす。
「ありがとぉ、キスケ。やっぱキスケはいいひとぉ」
「はっはっはっ、それはどうも………」
なんたる単純な思考だろう。だがしかし、単純というのは得てして人生をうまく切り抜けられることを意味する。
なんとかその場は収まり、無視しておきながらもハラハラしながらその動向を見守っていた周りのクラスメイト達にも安堵の空気が広がる。
「ふぅん、やっぱり榊枝君は澪っちの扱いが随分とお上手なのね」
そんな雰囲気をぶち壊すように樹輔の後ろから話しかけてきたのは同じクラスの栢森都。
手に持つポッキーを口に運ぶ姿はなんだか少し間抜けな気もするが、その冷えた声はいつもと寸分違わず、変わらない。
「栢森、てめぇも見てたなら少しは助けやがれ………」
澪に聞こえないくらいの小声で樹輔は恨めしそうに栢森にそう訴えるが、栢森の方は何処吹く風で、
「いやよ。澪っちがあんなに可愛らしく泣くんだもん」
一言で切り捨てた。まさに肩透かし。
「あっ、都ちゃん!ポッキー!!」
一言で切られ、意気消沈している樹輔の後ろから澪が言う。
すると栢森の顔は一瞬で晴れ晴れと晴れ渡り、澪に駆け寄ってくる。
「はい、あーん」
「あーん」
栢森に言われ、澪は大きく口を開ける。その中にはもう既に先ほどのアメの姿はない。
もしかしたら噛み砕いたのかもしれない。というか多分そうだ。
ぱくっ
「あぁん、澪っちかあいい!!」
体を軟体動物の如くくねらせ、よがる栢森。それを遠い目で見る樹輔。幸せそうに
ポッキーを食べる澪。なんともシュールな絵である。

「危ない!!」
「………え?」

――――――次の瞬間、澪達は何者かに引っ張られ、やや強引に床に伏せさせられた。
その直後、何かが砕ける音が教室に響き渡り、その余波によって教室は静寂に包まれる。
そして周りにいたクラスメイトは皆その音源の方向に目を向ける。
「………」
集まる視線の先には倒れこんでいる三人とその三人を守る形で覆いかぶさっている一人の少女の姿があった。

「いたた………」
体を起こし、今しがた自分達のいた地点に目をやる。すると、そこには本来なら天井に吊るされている筈の蛍光灯が落下し、その衝撃で蛍光灯の破片と残骸がバラバラに、粉々に飛び散っていた。
「………あっぶねぇ………」
「大丈夫?」
「うん、ありがとう」
上を向く。そこには橙崎かぼちゃが立っていた。
どうやら咄嗟にかぼちゃが三人をその場所から離脱させてくれたらしい。
「かぼっちぃ!ありがと!」
栢森はかぼちゃを視認するや否や、それはまさに獣の如く彼女に抱きつく。
二人は一年の時からのクラスメイトなのだ。もちろん都のお気に入りの一人。
「三人、とも、怪我はない?」
かぼちゃは抱きつく栢森を強引に引き剥がしながら状況を確認する。
「うん、大丈夫。ありがと、かぼちゃ」
「別に………、大したことじゃない」
澪はスカートの裾をはたきながら、かぼちゃにお礼をいう。
「ん………。澪その足」
「えっ?」
かぼちゃが澪の足を指差す。それは確かに擦り剥け、若干ではあるが血が滲んでいた。
「ほんとだ。大丈夫か?澪」
樹輔も心配げに澪に尋ねる。
「だっ大丈夫だよ!これくらい」
「いや駄目だ」
かぼちゃがぴしゃりと否定。それは拒否すらも許さない、厳然たる口調だった。
「澪、かすり傷をなめてはいけない。もしかしたら破傷風になってしまうかもしれないよ」
「は、しょうふう………」
澪の顔が一瞬で青ざめる、がおそらく破傷風がどういうものか澪は分かっていないだろう。
何故なら澪はつい最近まで天然痘は自然の砂糖のことだと本気で信じていたような少女だからだ。
「ということでボクは澪を保健室へ連れて行く。都、樹輔、後片付けよろしく」
そう言い残して、澪とかぼちゃは足早に教室を出て行ってしまった。そう、足早に。

そして残された二人。
「………」
「………」
「………橙崎の奴、なんだかんだ理屈ごねて面倒くさい作業オレらに押し付けやがった………」
「さすがかぼっち!やることが凡人とは違うよ!」
最早、栢森はキャラが違う。












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