元、三種の悪魔の一。
《蒼の戦慄》。
かつての亡霊、ポンは見知らぬ屋根の上で空を仰いでいた。
「………ふ、来ると思っていたぞ、兎尽月黒」
突然、ポンは振り返りもせずに誰かに話しかける。
「――――――なんだ、バレてたか」
彼の後ろに立っていた黒はそう言うと、参ったとばかりに頭を掻いた。
「なんだよ………、お前から一本取れると思ったのによ」
「生憎この身はそれの為だけに設計された決戦兵器。俺の隙を突く事が出来るのは、遠に腐敗した幽霊ぐらいのものだろうよ」
「ったく………。ほんと、反則なんだよ、お前はつくづく」
「いや………、そうでもないぞ《月硝子》。お前だってよく理解っている筈だ。利点には――――――ソレ相応の欠点が用意されているということを、な」
黒はポンがその詞に乗せた感情の揺らぎを見逃さなかった。
人形故に其処に表情はないが――――――確かにポンには何かを思うところがあるのだろう。
「そんなことより兎尽月。わざわざ此処まで来たからには当然俺に訊かなくてはならない事があるのだろう?」
黒はそれを身振りで肯定する。
そう、黒がわざわざこんな処に来たのも、偏に彼に訊かなくてはならないことがあったからなのだ。
「ふむ………。俺が答えられる範囲内なら答えようではないか」
「あんたに訊くべき事は二つ。まず一つは、あの女の扱う纏縛術=Bアレは魔術か?それともそれ以外の何かか?」
「お前が『いきなり身体が動かなくなった』と言っていたアレか。そうだな………、アレは確かに奇術でも幻術でも何でもない、正真正銘、本物の魔術。しかも系統は《アリス》と同じ、概念系」
その解答に眉を顰める黒。
――――――魔術。
それは本来、黒が関わるべきではないモノ。
黒が関わる事は出来ないモノ。
黒が決して信じてはいないモノ。
そして――――――黒が相性を最悪とするモノ。
「ちっ………、要するにオレが一番嫌いなタイプの事件ってことかよ」
「残念ながらな」
「………ふん。まぁ、仕方がねえか………。んじゃ次の質問な。あの女の魔術の機能は〔相手の自由を奪う〕、それ一つなのか?」
「ふむ………、そうだな。基本、概念系の魔術というのは二つ以上の機能を持ちはしない。概念を潰すのもまた概念。複数の意味を持てば、ソレは己をを潰しかねないからな」
「つまり、あの女が使えるのは実質あの纏縛術だけ、か」
「あぁ、おそらく」
「ふぅん………」
一つ一つ、ピースが嵌っていく。
魔術。
束縛。
そして、感情。
その意味。
その必然性。
全てが、全ての外形を成していく。
全てが、全ての骨格を為していく。
「………オーケー」
そして、出来上がるパズル。
その絵が表わすのは、物語の舞台裏。
その手品の種明かし。
これにて――――――証明終了
「さーて………、謎解きも終わったし、オレは家に帰って寝るとするわ」
そう言って立ち上がる黒を、ポンが引き止めた。
「まぁ待て。お前もさんざ俺に質問したのだ。俺にも一つ、訊かせてくれ」
「ん?なんだよ」
すると、ポンは外套を翻らせ黒に向き直った。
彼の淡く濁った紫淵の左眼に映るのは、自ら道を踏み外した一人の可哀想な少年の姿。
ソレは縁に沿ってちぐはぐに歪んでいる。
「………お前は」
《戦慄》は問う。
嘗て《月硝子》と呼ばれた、その人間失格に。
「――――――お前は、あの女を殺せるのか?」
何も罪のないあの女を。
愛するモノを奪われて、全てを失くしてしまった、ただそれだけの彼女を。
お前は殺せるのか、と。
「………殺せるさ。必要とあらば」
「お前が彼女の全てを壊したのだとしても?」
「ソレでこの麗しの停滞が続くのなら」
一瞬の迷いを切り捨てて。
全ての過去も切り捨てて。
黒は答える。
その問いに答える。
オレは、彼女を、殺すと。
「兎尽月………」
「ポン、オレはな。この世界が続いてくれるなら、幾等でも鬼になれるんだよ。喩えオレの所為で不幸に成った人だとしても、それは絶対に変わらない」
そう嘯く少年の姿は、月に映る影人形のように、滑稽で、余りに儚い。
それでもその少年は、気丈にも笑って答えた。
「んじゃ、オレ帰るわ。葵にばれても面倒臭いしな」
「あ、おい、兎尽……」
闇に消えた黒の姿はもう見えない。
ポンならば追い駆けることなど造作もないだろうが――――――彼はただ座って月を睨んでいた。
キモチワルイほど満ち足りた月。
そんなモノをぼんやりと眺めながら、ポンは一人ごちる。
「………なぁ、カタリナ。世界ってのは、如何してこうも、儘ならないのだろうな………」
その声は誰にも届く事無く、虚空へと消え、融けていく。
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