「………?」
何の気なしに腹に手を触れると、手に何かが粘りついた。
――――――あれ?
見てみると、服が血でどす黒く汚れている。
なんだろう、如何して血が?
………ぎちっ
そこで黒はソレに思い当たった。
「――――――………あぁ、あの時か………」
あの時。
復讐者との対峙。
血が出ているってことは相当な力で締め付けられていたらしい。
………っていうか。
本当にオレは眼に見えない何かに縛り付けられていたのか。
なんだか実感湧かないなぁ………。
「………ってかこれ、痛ぇのか?」
わからない。
オレには理解らない。
痛みとは――――――なんだろう
「………あーあ、これは早めに帰って包帯でも巻いとかなきゃ駄目かな。破炭のところには――――――行かないでいいよな、これぐらい」
黒はそう嫌々呟いて、若干足を速める。
――――――まぁ、どうせ葵はいないだろうし、怒られることはあるまい。
ぐすん………、寂しいなぁ
「くろのばかー!!また怪我してるかな!!」
「………は?」
アパートの扉をあけると、葵が腰に手をあてて仁王立ちしていた。
………何故に?
「ど、どうして葵がここに………?」
「ポンちゃんに『兎尽月怪我してるから看てやって』って言われたから急いで駆けつけて来たんだよぉ!!」
「………」
ポンの奴………、オレが怪我してんの気づいてたんなら何より先にオレに言えよ!!
「ちょっと聞いてるのかな!?」
「は、はい!!」
「もう………」
葵は深く息を吐いて、黒の傷口を優しくなぞる。
「またこんなに血を出して………。いつもいつも、後先考えないんだから………」
黒は彼女が小刻みに震えていることに気がつく。
見てみると、葵の顔には幾つもの涙の跡が伝っていた。
「わたしがどれだけ心配したと………、思ってるんだよぉ………。ほんと、心配したんだから………、くろが………、くろがいなくなったらわたし………」
「葵………」
黒は優しく、その震える肩を抱き寄せる。
「………ごめん」
「ほんとだよ………、ばか」
その震える身体を抱きしめて、二人はしばらくその唇を貪りあった。
息が苦しくなるまで二人は舌を絡ませ、深く深く口づけを交わす。
「ん………」
黒が首筋に唇をやると、葵は熱の篭もった吐息を漏らす。
黒はそのまま舌をなぞらせ、耳の下に一度キスをすると彼女に優しく囁いた。
いつもと同じように。
優しく優しく。
その、呪いを。
「好きだよ、葵」
◆
――――――彼女らの幸せを奪ったのはたった一人の人間だった。
現代に云うところの異端狩り。
彼女の夫はその巻き添えとなって、死んだ。
夫の死によって、彼女の拠り所は彼女の娘、灰原飛鳥だけになった。
それはまるで狂ったように。
狂ったように狂ったように。
仄香は飛鳥を愛した。
それにも関わらず――――――事態はあまりに呆気無く終結する。
少し眼を離しただけだった。
その隙に、少女は外へ抜け出したのだ。
きっと彼女は、母親を喜ばせようと弾んだ気持ちで外へ出たのだろう。
だが、それがいけなかった。
仄香が見つけた時にはもう、飛鳥は人の形をしていなかった。
有るべき腕は引き千切られ。
有るべき下半身は弾けとび。
首は有らぬ方向に曲がっている。
そして残った手には、菜の花で編まれた冠が握られていた。
母にあげようと、その小さな手で必至に編まれたその冠は。
彼女の血で、紅く、穢されていた。
彼女は、絶叫する。
その絶望に
その悲愴に
その懇願に
そして――――――彼女は復讐者と為る。
娘を殺した相手を捜し、この手で殺す。
それが彼女の行動原理と為り、その為に、情報を得る為に彼女は何人もの敵国の軍人と関係を持った。
犯されて。
犯されて。
犯されて。
身体を忘れるまで犯されて。
そして遂に、仄香は知るのだ。
自分の国は、たった一人の人間によって、壊滅させられたのだ、と。
たった一人の、人間――――――いや、人間失格に。
「………そう、だからアイツだけは赦してはいけない。愛する夫を殺し、娘を殺したアイツだけは………」
その為に、この能力を手に入れたのだ。
――――――君が望むのなら、私が君に力を授けよう
――――――大丈夫。貴方ならきっとこの力を正しく使える
たとえ私の行いが世界を滅ぼすとしても――――――必ずアイツを殺す、と。
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