「そういえば、葵。お前、最近巷で起きてる《切り裂き魔事件》って知ってるか?」
黒は学校へ向かう電車の中、ふっとこんなことを聞いた。
「知ってるよ―。最近ニュースでも取り上げられてるし」
「ふぅん」
……そうか。
噂はもうそこまで広がっているのか。
まぁ確かに話題性はたっぷりだもんな、あの事件。
切り裂き魔事件なのに、ちゃんと縫い付けられてるし。
……まったく、ほんとメディアの力は恐ろしい。
オレだって栞から聞いて、初めて知ったのに。
「確かもう三人くらい被害にあってるんだっけ?」
「らしいな」
「うぅ〜、怖いよねぇ。しかも被害地域が段々ここに近づいてるし」
「そうなのか?」
「うん」
へぇ、それは知らなかった。
近づいているって、この宴町にか?
こんな端田舎に来るなんて、よっぽどの物好きか酔狂だとしか思えない。
そんな益体の無いことを考えながら、その通学時にも関わらずガラガラに空いた車両を見回していると、視界の端に見覚えのあるものが見えた。
「………っ。あれ、創貴先輩じゃん」
「あっ、ほんとだぁ。相変わらずカッコいいね―」
「………ほんとだな」
性格はアレだけど。
「にー。でも、わたしの一番はやっぱりくろだから!」
「はいはい、ありがとね」
すりすりと頭を擦り寄せてくる葵を適当にあしらいながら、眼は彼に釘付けである。
「………」
なんか、先輩って違和感あるよな………。
なんて事のない人間の筈なんだけど、如何にもしっくりこない。
一人で一人じゃない感覚。
なんだか影が二重にブレてる感じ。
「――――――っ」
そんな不思議な感覚に苛まれていると、不意に創貴と眼が合った。
何故だか創貴はやけにこちらをまじまじと見つめてくる。

――――――おいおい、そんな眼で見ないでくれよ。照れるじゃないか。

黒は視線を葵に戻し、その頭を撫でてやった。








くだらない先生の、くだらない先生による、くだらない先生の為の、至極つまらない授業もようやく終わりを向かえ、黒はいち早く教室を出た。
「あっぢぃ………」
アンチ・地球温暖化を強く主張し、ガンガンにエアコンを効かした天国、もとい教室の一歩外はまさに灼熱地獄。
廊下は脳みそまで溶けてしまうのではないかと思う程の熱量を持っている。
「………廊下にもエアコン、つかないかな」
「つくわけないだろ」
振り向くと文月真尋がさらに黒の二倍気だるそうに立っていた。
他の生徒に比べてひときわ背の高い真尋はその所為でやけに目立っている。
「文月………」
「おいおい大丈夫?随分とだるそうだな………」
「こんだけ暑けりゃ、そりゃだるくもなるっての………。まっ、年中だるだるな文月にはわからないだろうがな」
「あ。あぁ?何言ってんだよ………。おまえ、おれのど………、あぁ………、うん、まぁいいや。めんどくさいし」
「言おうとしていることはせめて最後まで言い切ってくれ………」
暑さからか、黒と真尋の会話がいつになくグダグダだ。
「文月はこれから姫のお迎えか?」
「うん、そう。つぅかそういう兎月だって今から弥束衣の教室に行くところだろ?」
「まぁな」
「お互い様っていうか、苦労してんねー、どっちも」
「あぁ、まったくだ」
黒と文月は互いにひとしきり笑い合って、別れた。


――――――そういえば、A組って榊枝樹輔と織神澪もいたな………

E組に向けて足を進めていた黒の脳裏にふっとそんな思考が過ぎる。
だが、すぐにそれも掻き消える。
いや、掻き消した。
「ま………、今頃楽しくやってるだろうよ」
様子を見に行く必要はない。
栞も澪とうまくやっているらしいし、気になるのならば栞に訊けば済む事だ。
わざわざオレが出る幕ではない。
オレが出ていくべきでは、ない。
オレの役目は、もう終わったのだ。
用済みの道化の登場は、かえって彼らを怯えさせるだけだ。

「………」

それに。
それに。

少し、恐怖もある。

あの榊枝樹輔という少年。
オレは知らずか、彼を畏れている。
話したことはない。
ただ一度、眼を合わせただけだ。
構造的には何の変哲もない、一対の眼球。
だが、ナニかが違う。
あの瞳は。
あの眼は。
まるで何かを見透かすような。
まるで何かを見通すような。
まるで何かを見抜くようなあの眼は。


なんだか――――――キモチワルイ。


吐き気が視界を奪う。
頭痛が思考を砕く。
苦痛が理性を穿つ。
その眼はまるで、オレの罪を責め立てるようで。
オレの居場所を奪うようで。

だから。

オレは笑って誤魔化した。





………まぁ。
だがしかし。
今さらそんなことを思考したって仕方がないだろう。
意味がないにも程がある。
其処には何の人為的思考も人為的操作も含まれていなかったのだから。

全ては無為にして必然。

これもまた、因果だ。


「くろー、おまたせー!」
E組の扉が開くと同時に葵は教室を飛び出してきた。
カチリ、と思考を切り替える。
「おっす、あお」










「ねぇねぇ、くろー」
帰り道、黒達は馴染みの商店街に向けて歩を進めていた。
葵は黒と手を絡ませてくる。
「ん、なんだよ」
「もうすぐ、夏祭りかな」
「あぁ………、そうか。もうそんな時期か」
「えへへ」
葵はうれしそうに笑う。
夏祭り。
そうか。
もう、そんな時期か。
ということは、アレからもうすぐ一年たつのか。
あの惨劇から、もう一年。
時の流れというものは本当に早い。
残酷な程、足早だ。
「今年はおばさんに新しい浴衣買ってもらったんだぁ。すっごい可愛いんだよ」
「へぇ、それは楽しみだな」
「うふふ、楽しみにしててね〜」

くるくると。

彼女は身体を翻す。
風を受けて靡く流れるような葵の髪は夕日を透き通して、とても綺麗に栄えている。
「………」
でも。
それでも、時々考えてしまう。
彼女が負った、取り返しのつかない傷。
決して癒えはしない、その、傷跡。
「………畜生」
――――――駄目だ。
駄目だ駄目だ駄目だ。
どうしてそんなどうしようもない事を。
どうしてこんな意味のない事を。
意味がないのだから考えるな。
意義がないのだから忘れろ。
考えるな。
考えるな。
忘れろ。
忘れろ――――――!
「………くろ?どうしたの?」
気がつくと、葵が心配そうに黒の顔を覗き込んでいた。
「ん?あっ、いや、なんでもねぇよ」
「………?」


なんでもない。



今のオレには、関係ない。
















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