「兎月ー、飯食おうぜー」
「………っ。あれ、もう昼休みか」
真尋の間延びした声で、黒は我に返った。
「あんれ?黒、いつもの愛妻弁当は?」
「いや………、まぁ、これには深い訳がありまして………」
あからさまに口を濁す黒に真尋は怪訝な表情を浮かべる。
「………けんかでもしたのか?」
「………、あぁ………、ちょっと、色々あってな………」

結局。
葵は家に帰って来なかった。
確かにそんな簡単に帰ってくるとは思っていなかったが、やはり少し寂しい。
まぁ唯一の救いは、彼女が帰ってこないことは絶対にない、ということだろう。

彼女は必ず戻ってくる。

何故なら葵は――――――オレ無しでは生きてはいけないのだ。

「ったく、お前もほんと罪な男だよな。あんな可愛い子を泣かせるなんて」
「………静可、お前いつの間に………」
気がつくと、席の前には七種静可が立っていた。
身長170前後、髪を金色に染め上げた静可は、外見と裏腹な人懐っこい笑みを浮かべる。
「さっきから。で、何があったんだよ黒すけ。俺に詳しく話せ」
「はぁ?何が悲しくてお前なんかにそんな事話さなきゃいけねぇんだよ」
「えー、いいじゃんよー話せよー。おい、真尋も聞きたいよなー」
「兎月が嫌がってんだし、無理に聞かなくても………」
そんな乗り気じゃない真尋に不満を持ったのか静可は椅子に座っている真尋の頭をブンブン撫で回す。
「おいおい、真尋のはただめんどくさいだけだろーよ」
「あー」
長身の真尋が彼よりも背の低い静可のされるがままに首を振り回されるというのはなんとも不思議な光景であるが、相手が真尋であるなら然もありなん。
彼は無気力で流されやすい性質なのだ。
それはもう病的に。

そんな切り取られた一風景をぼんやりと眺めていると。
「はいはーい!あたし聞きたーい」
突然、横から声が飛んできた。
「げ、鈴音………」
見ればそこには鈴音辿が興味津々と、眼を輝かせてこちらを見ている。
鈴音辿。
天真爛漫を絵に描いたような、そのツインテールの少女はさも当たり前のように黒たちの輪に入ってくる。
「辿、おまえまで何言ってんだよ。わざわざ人のいやがるようなことはするもんじゃないぞ」
「なーに言ってんのよ、真尋!あたしと七種君はくろ君の悩みをわざわざ解決してあげようとしてるんじゃないの!これのどこが迷惑なのよ!!」
「そうだ!テンテンの言う通りだぞ!!」
「テンテン言うな!」
「ぐぼぉおおっ!?」
辿に後ろからヘッドロックをかけられた静可は苦しそうに呻き、近くの机の上を叩いている。
どうやらギブの意思表示らしい。
「………おい、文月。この理不尽極まりないイエローモンキー共にプライバシーのABCを教えてやってくれよ」
すると真尋は
「えぇ………、めんどくさいよ」
そんなことを言って、机にとっ伏してしまった。
「おい、文月ぃい!!お前中途半端にかばっていきなりさじ投げてんじゃねぇよ!!」
味方のまさかの裏切りによってあっという間に袋の中の鼠となってしまった黒は。
「ふふふ………。んじゃ、話してもらいましょうか」
「ぐっ………」

とつとつと、事の一部始終を話し始めた。





「――――――と、まぁそういうことがあったんだよ」
黒は全ての話を終え、購買で買ってきたミルクコーヒーに口をつけた。
いつの間にか起き上がっていた真尋はポン、と黒の肩を叩く。
「………兎月も苦労してんね」
「わかってくれるか、友よ……」
「……そのねじれって子を夜遅くに連れ出した黒すけももちろん悪ぃが………、葵ちゃんもそれはちょっと過剰すぎな気がすんなぁ」
静可も椅子を遊ばせながら、そんなことを漏らす。
「かもねぇ。………まぁ、仕方が無いんじゃない?ほら、葵――――――あんな事あったんだし。寂しいんだよ、きっと」
「おっ、なんかテンテンが柄にも無いこと言ってるぅうおぉぉ!?」
囃し立てる静可にアイアンクローを喰らわせつつ、辿は話を続ける。
随分と器用なものだ。
「あの子の傷を癒してあげられるのは、悔しいけどくろろんだけみたいだし」

「………はっ」

よくわかってんじゃん、こいつ。
葵の傷を癒せるのはオレだけ、か。
おしいよなぁ、ほんと。

葵の傷を癒せるのはオレだけなのではなく。

葵の傷を塞いでおけるのが、オレだけなんだ。

「と・も・か・く!くろろんはちゃんと葵に謝っておくこと!わかった?」
「へいへい………、わかってるよ」
「返事は一回!」
「………はい」













と、いうことで。

兎尽月黒こと、このオレは帰り仕度を済ませると、そのまま2-Fの教室に直行することとなった。
理由は明快。葵に詫びを入れに行くためだ。
はは、全然たいしたこと無いね、って汗だらだらの足がくがく。
《月硝子》が聞いて飽きれる。
オレ、正直ビビッてます。
「冷静になれ冷静になれ………。大丈夫、ただ葵に素直にごめんなさいするだけだ………。もっと自然に………、もっと平静に………」
気がつけば、そこはもう2-Fの教室の前だった。
そろりと後ろから教室を覗き込む。
そこには友人と楽しそうに談笑する葵の姿があった。
「………これ、いけんじゃね?」
うん、なんかいける気がしてきた。
すんごい楽しそうに笑ってるし。
もしかして機嫌も直っているのでは?
そんなことを考えていると、不意に葵と目が合った。
黒は笑顔を作って、手をあげようと、
「っ………」
した瞬間、葵はまるで鬼の形相でこちらを睨んできた。
あまりの恐怖に、黒は物陰に緊急避難。
黒は壁にへばり付いて縮こまる。

無理無理やっぱ無理―――!!、怖ぇ!マジ怖ぇ!!
ってか何あの目?あれは人間の目ですか!?もしかして魔眼!!?

黒は苦しもがいていると、葵が友人と一緒に反対側の扉から出てきた。
葵は黒に一瞥も視線をくれず、上履きを履き替え、そのまま階段の方へと向かってしまう。
黒はそれを黙って見つめることしか出来なかった。

「………おやおや?其処で壁にへばり付いて、ストーカーに勘違いされかねない程のそれ特有の気持ち悪さと、未確認生命体に見紛うてしまいそうな程の得体の知れない気色悪さを備え持った少年はもしかしてもしかすると、兎尽月君ではないかね?」

………ほんと、不幸というのは悲しくも連鎖するものだ。
まさに泣きっ面に蜂。

黒は不幸にも“先生”に出会ってしまった。












「なるほど。要するに君は罪を犯したどころかそれを償うことすらろくに出来ないようなろくでなしの根性なしということか」
「………」
半ば強引に保健室という監獄に連れて来られた黒はこれまた強引にパイプ椅子に座らされた。
目の前に置かれているのはコーヒー。
もちろんだがコレを入れたのは断じて先生ではない。
オレだ。
因みに先生のコーヒーも。
先生はオレのことを何だと思っているのだろう?
「私が君のことをなんだと思っているのかって?簡単だ。君は私のサーヴァントだろう?」
「勝手に心を読むな!しかもサーヴァントって………」
「あぁ、そうか、そうだった。サーヴァントといったら昨今の世間じゃ某ゲームの遣い魔と取り違えられてしまうな。………いや、ともすればそれの方が却って君には相応しいかもしれないぞ?ほら、だってキミは謂わば私の遣い魔的存在なのだし」
「なった覚えがねぇ!」
「ほら、もう少し高飛車で横柄な態度をとってみたらどうだ、せっかく金髪なのだ。なんなら詰襟の服も貸すぞ」
「………あんたは何を言ってるんだ………」
「そうか、無知な君では知る由もないか。ふむ………、残念だ」
先生はコーヒーを啜りながら、窓の外の風景に目をやる。
その一挙一動、全てがいちいち艶かしい。
彼女が多くの男を魅了するのも頷ける。
「………ってか。なんでオレを連行してきたんすか。先生にはお気に入りの創貴先輩がいるじゃないすか」
「ふむ。それなんだが、聞いてくれよ兎尽月君。あれは今日用事があるといって、この楽しい楽しい部活を休んだのだ。本来、私の元へやってこないというのは万死に値する程の重罪なのだが、この私は母なる海よりも広い料簡を以ってして、あれを赦してやったのだよ」
先生はどうだ、といわんばかりに胸を張る。

………いや、事情があって部活を休みたいのに休ませない方がどうかしてるって。

そしてやたらに胸を強調するな。

「それで時間を持て余して、オレを連れてきたってのか」
「その通りだよ、兎尽月君。いや、君も随分と利口になったじゃないか。先生はうれしいぞ」
「………」

………先輩。
頼むから、ちゃんと先生のお守りをしてくれよ。
先輩みたいな存在ってのは稀有なんだから。

「………畜生、ほんとついてねぇ………」
「くく、まぁそう嫌がるな。時間はまだ十二分に残されている。これからついてでも語り合おうではないか」









それから黒が“先生”から開放されたのは下校時刻ぎりぎりになってからだった。
「………疲れた………」
黒の表情には疲労が窺え、今日という日の熾烈さが見て取れる。

「………ほんと。悪いことってのは続くもんだよな」

黒は今日一日を振り返り、一人そうぼやく。

ほんと、今日は厄日だ。

………この状況を如何にかしない限り、どうやらまだ今日は終われないらしい。

黒はそんな思考を働かせながら、足を郊外へと向ける。


彼の住む町、宴町。
そこは人と自然の共存した、見る人によればとてもいい街だ。
故に少しでも街を出てしまえば、其処には人気のない自然が広がっている。


だからこそ、黒は其処に足を向けた。


「――――――さてと、」

黒は振り返り、

「そろそろ出てきてもいいんじゃねぇの?其処の誰かさん」

話しかける。

誰もいないはずの黒の後ろに。

誰もいるはずの無い、後ろに。

「………」
出てきたのは、二十代後半の女性。
顔立ちは眉目秀麗で、本来なら十分に美人と呼べる部類だろう。
だがその顔は、醜くも酷く歪んでいる。

――――――ようやく獲物を見つけた

そう云わんばかりに、憎悪に捻れている。

「       」
「………?」
「ようやく………ようやく………」
ぶつぶつと呟くその唇は細かく震え、その顔は狂喜に満ちていた。
「ようやく………見つけた………!!」
「っ!?」
彼女から溢れ出る殺気。
その殺気に、思わず黒は後退を余儀なくされる。

――――――なんだ、これは………!?

兎尽月黒
月硝子(クロウ)》と謳われる彼すら、退ける程の猛毒(キョウキ)

その壊れる狂喜は、その狂える狂気は――――――まさに異端そのもの


もしもこんな異物を彼女が内包しているというのなら。

だというのなら。

それこそ人間の、埒外。

それこそヒトの規格外。


まさに――――――人間失格



「ふふ………、はじめまして」



彼女は、



「………」



一体、



「S2-96号さん?」




何なんだ――――――?

















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