「つ………、疲れた………」
黒は椅子に腰掛けると、倒れるように机にとっ伏した。
「もう、黒ったら情けないかな!わたし達はまだまだ見たりないくらいだよ」
「そーですよ、くろ兄」
「お、お前等………、荷物もちさせられてるオレの身にもなってくれ………」


閑静な住宅街と自然の共存した街、宴町。
それに隣接するように存在する商業都市、
漆魅(うるみ)
黒とねじれ、葵はその漆魅の中心を貫く大通りに面するよう作られた小さな喫茶店にいた。

黒は氷の大量に入ったアイスコーヒーをストローを咥え、ちゅーちゅー啜る。

事の発端は、たった一言の科白。
ねじれが服を買いに行きたいと言い出したことだ。
元々は葵と二人で行く気だったらしいが、その場にいたオレも一緒にどうだと誘われたのだ。
オレもその時軽い気持ちでその提案を快諾した。

だが、ソレがいけなかった。

オレは“女の子の買い物”を舐めていたのだ――――――


「………はぁ………」
「あお姉ー、くろ兄が死んでるですよ」
「ほっとけば、元に戻るよ。じゃ、そろそろいこっか」
「そうですねー」
「………」
オレの疲労などどうやらお構いなしらしい。
というか酷い扱いである。

黒は席から立ち上がる二人をしばしうらめしそうに睨み、だがやがて観念したように立ち上がる。

まぁ………、いいだろう

葵もねじれも楽しそうだし、偶にはこいつらに振り回されるのも悪くない。

そんなことを考えながら足を踏み出すと、不意に街を流れるニュースが耳に入ってきた。

『………先日、××県×××市で殺人事件が起こりました。その死体は幾つにも切断され、再び繋ぎ合わされていた事から最近××県内で起きている連続殺人事件と同一の殺人犯によるものと推測され、警察は目撃証言を求めると共に住民に注意を呼びかけて………』

ふぅん………。
また、起きたのか。

××県内連続バラバラ殺人事件。

ソレは実際の所バラバラ殺人事件であって、バラバラ殺人事件ではない。
何故なら一度解体された身体の
部分(パーツ)がもう一度組み立て直されているからだ。

手は首に挿げ替えられ、頭は肩に付け替えられ、胴体は裏が表になり、足は腕になる。

バラバラになることのない、バラバラ殺人。

人はソレをこう呼ぶ。

パズル殺人、と。

「くろー?早くー」
葵の声に黒の意識は引き戻される。
「あ、あぁ、今行く――――――」

そう言って黒が視線を上げると、其処には。

「………っ」

其処には、何か欠けた人間がいた。

腕のない人間。

足のない人間。

手のない人間。

目のない人間。

極稀に何も欠けていない人間もいたが、大概の街行く人間は何かを喪失している。

「な、なんだよコレ………」

まるで足りないことが当然で、満ちていることが間違っているかのような錯覚。

意識が混濁し、自分の常識が非常識に置き換わる感触。

自分の身体が裏側から生成され、排他されていく快感。

ソレは自身の存在を曖昧で出鱈目なものに変質させていく。

そんな自分をより強く感じたくて、より強く確かめたくて。

黒は自分の身体に眼を下ろす。

だが、そこには。


そこには――――――何も無かった。




「……ろ!くろ!!」
「っ!?」
気がつけば、其処には欠けた人間など何処にもいなくて。

目の前には葵の姿があった。

「大丈夫?くろ。なんか、ぼーっとしてたけど………」
「………っ、わりぃ、ちょっと寝ぼけてた」
黒は頭を振って、こびり付いたイメージを打ち消す。
今いるのは漆魅だ。
あんな人外魔境な場所じゃない。
「もう少し休んでくですか?なんかくろ兄、疲れてるみたいです………」
ねじれが心配そうに覗き込んでくる。
「ありがとな、心配してくれて。でも本当に大丈夫だから………」
黒はねじれの頭をくしゃくしゃと撫でる。
「あー、ねじれちゃんだけ黒に頭撫でてもらってずるい!」
黒はねじれの頭を撫でながら、あることに気がついた。

片腕のない少女、音締ねじれ。

そうか。

彼女は、元から欠けた存在ではないか。











「おーい、黒太郎、お前何処にエロ本隠してんだよ?ベッドの下に入ってないんだけど」
「………………、………は?」

買い物から帰ると、何故か家の中に我が物顔で居座る男がいた。

「ったくよー、お前の部屋ってほんと面白みねぇよなー。もっと漢らしい部屋にしろっての」
「ななな………なんで………」
「あ、あぅあぅ………」
黒と葵はあまりの出来事にうまく反応を返すことが出来ない。
そんな間誤付いている二人を不思議に思ったねじれは部屋を覗き込んだ。

其処には。

「あーーーーー!!!メイメイ!!!!」

《劣化血漿》、獨無迷路がいた。

「ひゃは、お久ー。元気だったか、ねじれ」
「久しぶりです、メイメイぃ!!」
ねじれは迷路の懐で飛び込み、彼を強く抱きしめる。

黒と葵はそんな光景に呆気に取られ、ただただ黙って見つめていた。







「………で、何でお前が此処にいんだよ」

皆が寝静まった夜。
黒は迷路を問いただしていた。
「ひゃはは、べっつにー?少しマイフレンド達の様子を見に来ただけですよ?」
そう言いながら、迷路は彼の膝元で眠るねじれの頭を撫でる。
「嘘を吐くな。お前がわざわざ何の用事も無く、此処に立ち寄るわけがねぇだろ」
「あー、バレた?」
「………はぁ」
そう愉快げに笑う迷路に、思わず溜息を漏らす黒。
黒は迷路が大の苦手なのだ。
「まぁー………、あれだ。最近この街、宴町が不穏な動きを見せててな。ちょっくり偵察に、な」
「この街が?」
すると、迷路は黒の眼を覗き込むように顔を傾かせる。
「あぁ。《不思議のアリス》、《ヒトゴロシ候補》。この二つが同時期に起きた《バースト・エンブリオ》。アレ以来、この街は何かがおかしい。お前を突如襲った呪詛の謳姫、灰原仄香。本来、魔術といった[人間の理解の範囲外]の存在は通常の人間と交わる事は滅多にねぇ。まぁあの戦争は例外だがな。あの戦争は謂わば[世界の転換点]。あれには秩序なんてあったもんじゃなかったからなぁ。ただ、もう世界は統一された。魔術はほぼ姿を消し、世界は科学によって再編成された。なのに、だ。ひゃはは、お前は二回もソレに遭遇している。それだけじゃねーよ?最近この県で起きている連続バラバラ殺人、通称パズル殺人。アレだってそうだ。………知ってるか?あの殺人場所、確実にこの宴町に向かってんぜ?」
「………へぇ」
その殺人者、この街に近づいてるのか。
こりゃぁまた………、面倒なことになりそうだな。
「成る程なぁ………。それで『もしかしたら自分の追ってる奴もこの街に来るかもしれない』ってか?」
「ご名答ー」

「むにゃ………」
そこでねじれが迷路の膝上で一度寝返りをうつ。
その寝顔はあたかも世界の穢れを知らないかのように、あまりに綺麗であどけない。
「………可愛いもんだよな」
「ひゃは………、何も知らない無垢の少女ってのは、天女すら霞むほど美しいもんさ」
「ふん………、相変わらずお前はクセぇんだよ」
「ひゃははは。ほんと、こんな子にオレ様とお前は危うく殺されそうになったなんてなぁ。今でも信じらんねぇよなー」
その言葉に、一瞬黒の表情が曇る。
「………そうだな。オレらは確かにあの時、こいつに殺されそうになった」

それは………、偽りようがない、事実だ。

あの時。

あの場所で。

オレはねじれに殺されそうになった。

「………」

………もしも。

もしもあの時。彼女が人間失格――――――つまり[いるべきでない人間]になっていたら。

オレはこの子を殺せたのだろうか?

「………兎尽月黒。お前今、[いるべきでない人間]って考えたろ」
「っ………!」
迷路に突然心を読まれ、黒は驚く。
「お前、オレの心読みやがったな………。先生みたいな事を………」
「ったくよー。それはちげぇって、兎尽月黒。いいか?この世界に、[いるべきでない人間]は存在しない」
迷路は何時になく強い口調でそう告げる。
「世界ってのは誰にだって平等だ。誰にも傾かないし、誰にも靡かない。つまり、世界は常に平等に生物を創造している。ならば如何してオレ様達、人間が誰それが悪であると決め付けられる。確かに、悪はある。悪は裁かれなければならない。でもな。存在自体、悪なモノなんてこの世界には何処にもねぇんだよ」
「………」

………何の躊躇いもない、眼だ。

黒はそう思う。
本当に、綺麗で、純粋で。
「………お前は、本当に綺麗だよな。偶にソレが羨ましくなる。………だが………、オレは存在自体が害悪である存在を知っている。………オレだよ。オレは、オレがいる場所には、何時だって死があった。戦争の時はオレは数え切れない程の人を殺した。戦争が終わった後も、オレの周りには死が絶えることなく蔓延っていた」

不意に、父親の死顔が浮かぶ。

本来父親などいなかった黒を喜んで息子と呼んでくれた、父親。

黒に名前と感情をくれた、父親。

そして、自分の為に、死んだ、父親。

「人間失格。つまりは、[人間]を、[失格]している存在。人間の理解の範囲内で逸脱した人間。それは失格である故に常に世界に死を齎す。お前だって実際のところはよく理解しているだろう?つまり、人間失格はこの世界にいては、いけない」
「………黒」

………そう。

オレは、いてはいけない。

いるべきではない。

だから、オレはオレを否定する。


オレは、オレのその全を、拒絶する。












《探偵》、霧束栞は住宅街のある一角、その邸宅の中にいた。

別に依頼されたわけではない。

ただ、少しこの不可解な事件に興味を持っただけだ。

「うーん、現場の証拠品とかはー、全部警察が持ってったに決まってるか………」
当然。
警察がその前に調べ上げてしまっている為、邸宅に事件の痕跡などほとんど残されていない。
あるのは床にこびり付いた血痕程度のものだ。
「………ふぅん………」
だが、彼女にとって其処には決定的な証拠が残されていた。
「………微かにだけど………、魔力の残滓の匂いがするさね………」
栞はそう言ってしゃがむと、眼を閉じて指で床をなぞり始める。
何もありはしない、ただのフローリングの床を彼女はあたかも迷路を辿るかのように指でなぞっていく。

「………っ。………此処か」
そしてその指の終点には、一つの大きな血溜まりの痕。

おそらくは、誰かの死体があった場所。

そして、ただ一体、未だに発見されていない死体のあった場所。











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