一瞬の眩暈。
脳髄を揺さぶられる感覚。
躯を劈かれる錯覚。
焦点の定まらない眼球。
触覚を失い、居場所を失くした四肢。
黒はそんな混濁した意識を強引に引き戻し、目蓋を開く。
其処には
「………っ、なんなんだよ………、これ………」
其処には――――――躯を失くした人間達がいた。
視野を占領する、躯の部品を喪失した人間の群れ。
彼等はその異変に気付き、悲鳴をあげる。
逃げ惑う観客。
荒れ狂う喧騒。
まさに阿鼻叫喚の、地獄絵図。
「ち、くしょう………、なんだ、なんなんだ、これ………、これじゃ、まるで………」
――――――ドクン
「――――――っ!そうだ、葵、平気か………?」
隣りを見やる。
其処には罅の這った腕を押さえる葵の姿があった。
その顔は今にも泣き出しそうで、理解出来ない苦しみで歪んでいる。
「――――――………くそ!どうなってやがるんだ、これは………」
黒は毒づく。
すると不意に、彼の思考を何かが掠めた。
――――――魔術
オレが関わるべきでない存在。
オレが関わってはいけない存在。
………もしもこの事象が魔術によるものなのだとしたら。
――――――この街は何かがおかしい
迷路の云う通り、この街――――――先生の云うところの、[ゼロ]の地に、何か大きな異変が起きているのかもしれない。
………だが、如何せんまだこの状況を判断するには情報が少なすぎる。
とにかく、栞か朔夜と合流しなくては。
「………葵。おまえはココで待ってろ。すぐに戻ってくるから、いいな?」
しかし――――――
「………だ、駄目」
葵は黒の腕を引っ張って、ソレを引き止めた。
黒は足を止める。
「?なんだよ、葵」
「………く、黒は今日ずっとわたしと一緒にいるって言った………」
葵はか弱く、今にも途切れてしまいそうな声でそう言った。
黒はその言葉に、耳を疑う。
「………は?葵、おまえ今の状況を考えて言ってんのか?」
「だ、だって!だって、黒一緒にいるって言ったのに………。約束………、したのに………。ひどいよ………。わたしを………おいてくの?」
「おいてくわけじゃねーって。すぐ戻ってくるから、少し待ってもらうだけだよ」
「………今日はずっと黒を離さないっていったもん………。約束だもん………。」
葵はそう言って、ぎゅっと、掴む手に力を籠める。
「………おい、葵、頼むからオレの言う事を聞いて……」
「やだよ!だって………、だって………。久しぶりだったんだよ?まだお祭りは始まったばかりじゃない。もっとあそぼぉよ。ね?きっと楽しいよ。………うぅん、絶対楽しい。だって黒がいるんだもの。………ね?」
泣き顔に似た、笑顔。
今の彼女には――――――世界が見えていない。
彼女には、目の前の少年しか映っていない。
理解ってる。
理解っているさ、そんなこと。
彼女は悪くない。
悪いのは――――――全部、オレだ。
そう、それでも。
そう理解した上で。
今の黒は、ソレが我慢出来なかった。
ブン、と。
葵を突き飛ばす。
葵は尻餅をついて、見上げる顔は理解出来ないとでも云うかのように凍り付いている。
「く……ろ……?」
「………如何してそんな風に我侭が言えんだよ……」
「………ぇ………?」
「身勝手なんだよ、お前は!眼の前の状況が理解できないのか!?お前だってそうだろ、葵!お前の腕だって………」
「別に、いいよ」
「………え?」
葵はそう言って、おもむろに自分の罅割れた腕を握る。
そして強く握ったその腕を、彼女は平然と捥ぎ取った。
「………、はっ?」
黒は咄嗟に反応を返せない。
そんな呆気にとられる黒に構わず、葵は目を輝かせてうれしそうに笑った。
「あはは、これで、黒の心配するものは無くなったね。これで、また一緒にいてくれるんでしょ?黒」
あはは
あはははは
渇いた笑い声が、やけに耳障りだ。
そんな笑い声をあげるなよ。
如何してそんな風に笑えるんだよ………。
お前、今、自分の腕を捥いだんだぞ………?
「………畜生、………狂ってやがる………」
黒はそんな彼女に背を向け、混乱した人波を割いて行く。
「………………あは………、ははは………、わたしね、黒だけいれば他のモノなんて何もいらないんだよ?だってわたしにとって黒はわたしの全てなんだもの。だから、こんな世界、別にどうなったっていいの。黒がわたしの傍にいてくれれば、それでいい………。………なのに、なのに黒は、わたしを置いていくの………?また、わたしを、独りにするの………?………ひどいよ、黒ぉ………。ねぇ………、ねぇ、お願いだから行かないで………。独りにしないで………。わたし………、なんでも、言うこと聞くから………。聞くからぁ………」
消えてゆく少年の背中に、少女は哀願の言葉を吐き続ける。
壊れた蓄音機のように、何度も。何度も。
同じ科白を。
それでも黒は振り返らなかった。
今の彼に振り返る余裕は、なかった。
◆
――――――あぁ、あたしは本当に莫迦だ!!
栞は迷路達におそらくはいるであろう黒を捜しに行かせ、自分はねじれを捜しに走った。
――――――お財布を忘れたので、一回家に戻るですよ
そう言ってねじれが家に戻った後、栞は迷路達と合流した。
だがこんなことならあたしも彼女についていくべきだった。眼を離すべきではなかった。
いくら彼女の精神状態が安定しているからといって、彼女が危険状態(シグナルイエロー)から脱することは決してないのだから。
要するに――――――今の環境は彼女に刺激的過ぎる。
「………くっ………!!ねじれちゃーん!ねじれちゃん、いないさ!?」
「どうしたですか、栞姉?」
「うわぁあぁ!?ね、ねじれちゃん!?」
捜していた張本人の声がすぐ横から飛んできて、栞は素っ頓狂な声をあげた。
見ると浴衣を着たねじれは不思議そうに首を傾げている。
「ね、ねじれちゃん、、いつから其処に………」
「今さっきですよ」
そう言うねじれを見て、栞は安堵の息を漏らす。
………よかった。いつも通りのねじれちゃんだ………。
何も変わらない、いつもの………。
其処で気がついた。
いつも通りの、日常と何一つ変わらない、彼女。
つまり、この部品を失った人間達の中で、ねじれは
唯一初メカラ部品ガ足リテナイノダ
「それより、なんかみんな大変なことになってるみたいなのですが、一体どいうことですか?」
「ん、あぁ、これは………」
栞の顔が苦々しく歪む。。
「………これは、魔術だよ。しかも超弩級の、特大魔術。………しかしまさかこんなタイミングで起きてしまうなんてね………。運が悪過ぎる………、いや、運が良過ぎたのかな」
「魔術………」
そう言って、ねじれはその矮躯を震わせる。
そんな彼女の肩を栞は優しく抱いてやった。
「………大丈夫、此処にあたしがいる。それだけじゃない、カラスくんや、迷路くん、朔夜ちゃんだっているんだ。こんなのすぐに解決しちゃうって」
「………ほんとですか」
「約束する。あたし達が――――――全部纏めて包めて、明かしてあげるよ」
そう言ってにこりと笑うと、栞はねじれから身体を離して立ち上がる。
「………ねじれちゃん、あたしの後ろにいてね」
「はい?何故です?」
「いいからいいから」
そう言ってねじれを下がらせると、栞は静かに眼を閉じる。
「――――――私の眼は、地球を見透かす――――――」
――――――瞬間、世界の鼓動が聞こえた
支える骨格は世界の真理
流れる血液は世界の知識
執りあう脳髄は人の欲望
分解しろ
分析しろ
解体しろ
解剖しろ
知識を体験しろ
良識を破壊しろ
認識を悔い改めよ
此の眼球は、世界を再生させる
〈偽式略式・緋析解凍〉
開かれたその彼女の眼は、赤く赤く、揺らめいていた
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