とても霞んだ、曖昧な記憶だ。
視界もあるかもないかもわからないぐらい、ぼやけている。
それでも確かに、オレは見た。

彼女は、泣いていた。
ベッドに横たわるオレを見ながら、彼女は泣いていた。
本来ならオレが知っているなんて在り得ない。
オレはその時意識を失っていたのだから。
でも。
それでも確かに。
確かに澪は、あの病室に来ていた。
蒙昧とした意識の中で見た澪。
彼女はオレの頬を撫でながら、何かをつぶやいている。
だがそれを聞き取ることは出来なかったし、思い出すことも出来なかった。

………だが、今ならわかる。
そう。彼女は。
彼女は、謝っていたのだ。
延々と。
永遠と。
声が枯れるまで。
心が枯れるまで。
彼女は謝り続けていた

なんて、酷い。
なんて、惨い。

彼女を追い詰めた。

それが赦せない。

彼女を苦しめた。

それが赦せない。

彼女を泣かした。

それが赦せない。

だからオレはきっと――――――オレが赦せない。

きっとこれはその償いだ。

――――――オレは誰よりも、澪に赦してほしいのかもしれない











「澪………」
「きっ、キスケ………?」
澪はやや戸惑った声をあげる。
その顔は喜びとそれに相反した感情で、濁っている。
「なっ、なんで、キスケが、ここに………?」
「お前を………、捜してたんだよ」
「ど、どうして………?」
「はぁ?連れ戻すために決まってんだろ」

連れ戻す。

あぁ………、そうだった。

キスケは、こういう人だった。

いつもぶっきら棒なのに、本当に悲しい時はいつだって黙って傍にいてくれる。

そんなところが――――――わたしは好きだった。

………でも。

もう、何もかも手遅れだ。

あまりに――――――遅すぎる。

「………駄目だよ、キスケ」

それは現実を知ってしまったから。

わたしに戻る道なんて初めから用意されていなかった。

だから――――――駄目なのだ。

帰ることなんて、とても出来ない。

「はぁっ?おまえ、何いっ」
「………………わたしがいると、みんな、不幸になる………」
「………っ」
雨がさっきより勢いを増す。
それは突き刺さるように、浸み込むように、痛い。
「わたしはね、キスケ。不幸を呼ぶんだよ」
「不幸を………、呼ぶ?」
「………そう。最初は全然気にしてなかった。でもね、いつからか、気がついたんだよ。わたしの周りは事故が起こりすぎている」

気になり始めたのは、あの時。

橙崎かぼちゃの、あの言葉。

「考えてみれば当たり前なのに、ね。どうしてわたしは今まで気がつかなかったんだろ。………やっぱり、わたしって馬鹿だよね」

確かに、そうだったかもしれない。

よく考えれば、それは明らかだった。

いつも傍にいたのが樹輔なら。

彼もその状況をよく目にしていたはずだから。

喩えば、彼ら。

喩えば、あの幼女。


――――――もう傷ついてほしくない


………あぁ、そうか。

これで、全てのサーキットがつながった。
それが彼女の行動原理。
それが彼女の根本動機。

きっと彼女は、パイプの下敷きになったオレを見て、思ってしまったのだ。

その姿を見て、気づいてしまったのだ。

どうやらあの事故が、彼女を決心させてしまったらしい。

「………ちっ」

………くそ、なんて皮肉だ。

ますます、オレの所為じゃないか。

「だ、から………、わたしは帰れない………、帰っちゃいけないの………」
見ると、澪の身体は小刻みに震えていた。
感情を噛み殺すかわりに、それは怯えるように震えている。
今にも消えてしまいそうなほど儚く、融けてしまいそうなほど切ないその姿は。

樹輔の心をぎちりと締め付け、樹輔を悲しくさせた。

「澪………」
「………っだ、駄目!!こ、こないで!!そ、それ以上わたしに近づいちゃ駄目!!」

もう誰も傷付いてほしくないのに。

もう樹輔が傷付く姿なんて、見たくないのに。

しかし樹輔はその静止に構わず澪に近づいていく。

「駄目!!だっ駄目だって!!こないで!!来ないでよ!!お願いだから、来ないで………」
澪は後ろに退きながら、泣きながら、それでも樹輔は止まらない。

一歩一歩、樹輔は澪に近づく。

もう、失ったりはしない。

今度こそ、見失いはしない。


だから、だから、そんな顔をしないでくれ。


いつものように、笑ってくれ


「………駄目………、駄目なのに………」

あと三歩。

「………わ、わたしと一緒にいたら………不幸になっちゃうよ?」

あと二歩。

「不幸になっちゃうのに………なのに、どうして………」

あと、一歩。


――――――澪、お前はわかっていない


オレにとって、怪我をするとか病気になるとか、そんなことよりずっと


お前がいない方が、よっぽど不幸なんだよ


「決まってんだろ。――――――お前が、好きだからだよ」


気がつけば、雨は止んでいて、そして――――――樹輔と澪との境界はいとも簡単に、崩れた。











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