白状しよう。
オレ、榊枝樹輔は織神澪のことが好きだ。
それは誤魔化しようのないことで、偽りようのないことで、限りなく、誠心誠意、真実だ。
理由なんてない。
恋に理由なんてそもそもいらないだろう?
初めて彼女と出会ったのは小学校の時。
しかし、不思議なことにその当時オレは澪のことを徹底的にまで嫌っていたと思う。
厭っていたわけではないけれど。
確かにオレは彼女が嫌っていた。
誰にでも話しかけて、誰にでも優しい癖して、すぐに泣いちまうし、それでいて変なところで勇気があって、でもやっぱり弱虫で。
オバケは怖がるは暗闇は怖がるはで、遊びたい盛りのオレからしてみれば正直ウザったいだけだった。
でも、何時からか、そんな彼女を守ってあげたい――――――なんて気障で陳腐な言葉になっちまうが――――――オレは彼女が好きになった。
何時からか、目障りだという感情は、恋愛の感情に摩り替わっていた。
今から思えば、あの嫌いって感情も好きの裏返しだっただけなのかもしれない。
ほら、よく「好きと嫌いは紙一重」なんて言うじゃんか。そんなところだったのかもしれない。
彼女は今も変わらない。
オレも変わらず、彼女の傍にいる。
澪は高校生になった今だってよく泣くけど、いや、だからこそ、そんな彼女を守ってあげたいんだと思う――――――


「ん………」
「………樹、輔?」
起きると、樹輔の母親が彼の顔を覗き込んでいた。
「………なんだよ、母さん」
「樹輔、起きたのね!!樹輔ぇ!!!」
「うぉっ!?」
母親は目を潤ませながら、樹輔を抱きしめ、安堵の表情を浮かべる。
「よかった、よかったぁ………」
「なんだよ、気持ち悪いなぁ」
「ほんとに、本当に、よかった………」
零れ落ちたその涙は、床に落ちて弾けた。


――――――その数十分後、樹輔の意識が戻ったことを聞いて、樹輔の父親も駆けつけた。
「一週間も?オレが?」
そこで初めて、樹輔は自分のおかれている状況を知った。
樹輔はあの後、一週間も病院のベットの上で意識が戻らず、昏睡状態にあった。
それにはさすがの樹輔も驚いた。
まさか自分がそんなことになろうとは、露にも思っていなかったのだ。
「そうだったのか………」
というかオレは、なんでこんな事になったんだっけ?
そう、確かトラックの荷台から突然鉄パイプが雪崩のように崩れてきて、それでオレは………
「………っ!そうだ、母さん、澪は!?澪は大丈夫なのか!?」
「えっ?澪ちゃん………?」
「あぁ、アイツは怪我とかしてないか?」
「………それは」
「母さん?」
「………」
母親はそれを聞いて、口を噤んでしまう。
気まずそうに、いかにも言い出し辛そうに。
「澪ちゃんは、ここにいないよ」
それに対して父親が母親に代わって代弁を打って出た。
重々しく、父親は言葉を紡いでいく。
「いない?怪我とかしなかったのか?」
「いや、そうじゃない………。そうじゃないんだ、樹輔」
「?なんだよ、随分と回りくどいな。なんかあったのか?」
「………澪ちゃんは」
樹輔の父親は吐き出すように、一気にそれを口にした。

「――――――澪ちゃんが今何処にいるのか、私達にはまったくわからない。つまり、要するに彼女は現在行方不明なんだ、樹輔」



×××


今の若者はよく「死ね」、「キモい」といった言葉を簡単に使う。それは最早悪口でも厭味でもなく、ただの軽口としての動詞へと変化していると云っても過言ではない。この場合、この言葉の質量について考えた場合、それはどれ程のものなのだろう。それは人の心を傷付ける程のものなのだろうか。オレが生きてきて、経験してきた限り、その言葉はほとんど無意識的に無視され、無為にあしらわれているといってもいいだろう。つまり、それほどまでにこの言葉は一般化―――常用化しすぎているのだ。故に、心にはきっと一片の埃もつきはしない。ならば、例えば普段そんな言葉を吐かないような心優しき少年に其れを言われた場合は、どうだろう。きっとその言葉は何物よりも重く、何よりも鋭い、刀剣をも凌駕する殺傷力を持ってして、その心を傷つけ、貫くことだろう。それが愛しの人であれば、尚更だ。しかしもしそうだとして―――今オレが述べたことが全て真実だとして、それならばこの言葉の持つ質量というのは可変である、と定義付けられるのではないだろうか。―――つまり、言葉が質量を持つ物質であると仮定して、それはその個人による使用頻度に伴い、分散されるのだ、ということを証明しているのではないか。そして、その質量の増減に従って、その影響力も上下するのではないか、オレはそう定義する。

――――――だから、というわけではないけれど。
そんな事言ったところで所詮は言い訳にしかならないのだけれど。
オレは織神澪に本当の気持ちを伝えようとしなかった。
むしろ、それを拒み、あくまで幼馴染として接しようと努力した。
今の関係を壊したくなかった。
オレがその言葉を発したことにより、その言葉が質量を持ち、それがオレ達の関係を崩壊させるのではないか、と恐れ、怖れた。
しかし今から考えれば、オレは彼女にちゃんと気持ちを伝えるべきだったのかもしれない。
だって言葉に出さない感情なんて、無いに等しいのだから。
言葉に出さないと、この恋心は意味を無くしてしまうのだから。
………もう全て手遅れだけど。
全て全て、手遅れだけど。
大切なモノをみすみす失くしてしまったオレには、悲しい程、手遅れだ。
「………」
――――――なんで、大切なモノはすぐに指の間をすり抜けてしまうのだろう。
どうして、好きなモノはいつも壊れてしまうのだろう。
オレが守りたいと思ったものを結局オレは何一つ守れていなくて、それはいつも失くしてから気がつくもので。
オレだけではない。
オレの所為で、澪の親はどれだけの失望と悲しみに溺れたのだろうか。

――――――あの子を返して!!

その言葉はどんな言葉よりもオレに鋭く突き刺さる。
結局オレは澪だけではなく、他の人たちまで傷つけていたのか。
「………畜生」
手に持っていた人形のストラップを思い切り握り締める。
人形のストラップ―――澪とお揃いで、ペアで買ったその青色のストラップ。
その片割れはもう此処には存在しない。
だが。
だがそれでも。
確かにソレは樹輔にとって澪と繋がっていられる唯一のものなのだ。
だから、せめてそれだけは手放さないようにと、強く握り締めた。

――――――大切なものは失くして初めてその大切さに気がつく

使い古された言葉だ。
だが、それは確かに的を射ているし、芯を貫き、真を貫いていた。
結局、オレもそれの一つの事例でしかないのだろうか?
辞書でいうなら幾多とある用例のほんの一例。
オレと彼女の世界は、そんなものだったのだろうか?
こうして彼の世界は崩壊していく。
たった一つの歯車が抜け落ちただけで、それはいとも簡単に立ち行かなくなる。
そんな脆い場所に、彼は立っていた。
そして、無くしてしまった。
樹輔は澪を千尋の谷に落としてしまった。
見殺しにした。
見ていながら、手を伸ばさなかった。
「………オレは………。オレは、どうして………」

――――――こうも愚かなんだ

オレは、彼女の苦しみに気がつけなかった。
気がついたフリをしていた。

――――――彼女の涙を見たのに。

それは曖昧で蒙昧としたキオク。
それでもきっと彼女は泣いていた。
それなのに――――――オレは。
オレは、こんなところで何をしてるんだ………!

「………澪、お前は今、何処にいるんだよ」

返される筈のない、疑問。
還らない、返答。
「暴いてあげよっか、彼女の居場所」
それなのに、
そのはずなのに、
扉の方向から、声がした。
「………っ!?」
有り得ない。
有り得ない、筈だ。
あってはならない、筈だ。
それでも。
樹輔は、振り返った。
「――――――はじめまして、と言うべきかな?榊枝君」
其処に立っていたのは、一人の少女。
愛らしい顔立ちに、髪はセミロングで片方のもみあげは三つ編みにされていた。
「わたしの名前は弥束衣葵(みつかいあおい)

それこそが、この少年と、ひとつの人形の初めての邂逅


「――――――その事件、纏めて包めて、明かして見せましょう」












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