「神海君、今日、一緒に帰れる?」
神海深霧。十七歳。
学校帰り、秘かに恋心を抱く女子生徒からそんな誘いを受けたのは織神澪が失踪して十日ほどたったある日だった。
彼女の名前は栢森都。
別称、“雪女”。
名の由来は彼女のその酷薄な性格から。
冷たい。
彼女と初めて会う大概の人はとにかくまず第一印象にそう思うだろう。
それでも。
そんな栢森を目の当たりにしながらも、なんだか惹かれている深霧がいた。
もしかしたら深霧はマゾなのかもしれない。
「って、んなわけあるか!!」
「………ど、どうしたの、神海君」
「あっ、いや、な、なんでもない」
「そう………」
深霧と都は「心臓破りの坂」を下っていた。
二人の間に殆ど会話はない。
「………」
「………」
「………」
「………」
――――――あれ?なんだか、気まずいぞ?
あまりに会話がなさすぎる。
誘ったのは確かに栢森の方からだったはずだ。
もしかして聞き間違い?
いやいや、んなわけないだろ。
落ち着いて考えろ!
なしてこうも会話が無いんだ?
「いっ、いやぁ、今日もいい天気だなー」
「今日は曇りよ。眼、大丈夫………?なんならいい医者紹介してあげるけど?」
「………………すいません」
会話終了。

………

なっ、なんなんだ、この状況!?

本来うれしいはずのそのシチュエーションも、今ではただの地獄でしかない。
畜生!俺はいつからこんなへたれキャラになっちまったんだ!?
って言ってもそこまでまず登場してねぇじゃねぇか、俺!!
落ち着け、落ち着け俺!!
まずなんか栢森が食いつくような話題を提起するんだ!

………、やっぱり可愛い女の子のことか?

「あっ、あのさ」
「なに?」
「………い、いや。なんでもない」
駄目だー!!
そんな即興じゃ思いつかねぇよ!馬鹿か俺は!馬鹿なのか!?
畜生、俺はなんて駄目な奴なんだ!!
きっとこうやってこれからもチャンスを逃していくんだ………。彼女も、出世も!
………あ。なんか、悲しくなってきた。
「………ねぇ」
「っ!な、なんだ?」
深霧がそんな自己嫌悪に陥っていると、ようやく都はうつむき加減に口を開いた。
「………澪っちと榊枝君、一体どうしたんだろうね」
「――――――っ」
「………澪っちと榊枝君、ちゃんと、帰って――――――くるよね?」
驚き戸惑って顔を覗き込むと、栢森は今にも泣きだそうな顔をしていた。
彼女は下唇を噛みながら、そのこみ上げる感情に堪えている。
その姿を見て、深霧は悟った。
………なんだ。そういうことか。

つまり一人でそれを抱え込むのは苦しいと。

もうこれ以上一人では耐えられないと。

そんな利己主義な思考で、そんなエゴで、この女は。

彼女は俺を頼ってきたのか。

それほどまでに、それは彼女にとって耐え難いことだったのだろうか?

十日間。

一体彼女はどんな気持ちでその日々を送っていたのだろう。

「ね、ねぇ。またみんなでああやってふざけたりとか、出来るに決まってるよね………?」
「………」
もし。
もし、彼女がそんな下らない事でこんな表情をしているのなら。
「………こ、神海、くん………?」
そうだとしたら。
それは。
それはやはり。
「………栢森、お前やっぱすげぇよ。………すげぇ、ほんとお前って奴は、たいした奴だ」
「………っえ………?」
深霧は立ち止まって、ただそう云った。
皮肉でもなんでもない、素直な気持ち。
なんの厭味も含まれない、正直な感情。
「な、なんの話よ」
「栢森、それがずっと心配だったんだろ?」
「………それとどういう関係があるの?」
「あいつらのことが心配で、この頃ずっとうわの空だったんだろ?あいつらを気にかけて、胸が裂かれる想いで、お前は俺に相談してきたんだろ?
………俺には出来ねぇ。俺にはできねぇよ、栢森。まだ知り合って2ヶ月も経ってないような新しい友達を、そこまで心配するなんてこと………」
栢森と織神は2年になってから知り合ったらしい。つまり、今年の4月に初めて顔を合わせたのだ。
そして今は5月初半。まだまだ、知っても知り足りないような関係だ。
それなのに。
そうであるにも関わらず。
「そこまで心底心配できるなんてな」
「………」
「すげーよ、ほんと」

ほんと、俺には出来ない。

そこまで他人の心配なんて出来ない。

そこまで他人の眼にはなれない。

そこまで他人と同着は出来ない。

たったの一ヶ月同じクラスにいただけのような人を、そこまで――――――

「――――――そんだけ愛されてんだったらさ」

だから。

そうなのだから。

それだけの友達が此処にいるのだから。

「帰ってこないわけがないじゃん。あいつら」

「………え?」

「帰ってくるよ。あいつらは絶対」

深霧は胸を張って、当然のように宣言した。

当たり前だ、といわんばかりに。

当然だ、といわんばかりに。

「………」
「………」
「………っふ」
「………?」
「あは………、はは、ははは!」
見れば、栢森は笑っていた。
「な、なんだよ!人がせっかく格好つけてるんだから、笑うなよ!」
「はは、神海君に断言されても、あんまり頼りにならないなぁ」
「なっ、なんだとぉ!?」
「いくら格好いい台詞だけど、云う人がなぁ………」
「その『………』には何が入るんだ!?」
「えっ?それは当然………」
「いや、言わないでいい!ってか言わないでお願い!恐いから!」
「あら、そう?」
その澄ました顔は、いつもの栢森だ。

――――――よかった

――――――いつも通りとはいわないけど、栢森はやっぱりこうじゃなくちゃな

どうやら深霧は、真性のマゾらしい。











放課後。樹輔は駅前にあるカップル御用達の喫茶店、《Blue Necrosis》に来ていた。
そこで待っていたのは弥束衣葵。
彼女は向かい席で手持ち無沙汰そうにグラスにささったストローを弄っている。
「………かわいい、よな」
弥束衣は客観的に見て、かなり可愛い女の子だと云える。
整った顔立ちに、スラリとスカートの下から伸びる足。そして美しく艶めく髪。
澪は弥束衣のことを知らなかったらしいが、実際男子の中では知らない者はいないぐらいに人気があるのだ。
まぁ知名度でいえば“天使”こと、リリンには及ばないだろうが。
それでも美少女であることに変わりは無い。
そんな少女と二人で落ち合うなんて、別になんの下心とかが無くとも緊張する。
葵と会うこと自体は別に初めてではないのだが、如何せん場所が場所である。
それをなんの躊躇もなく席に向える程の度胸を、残念ながら樹輔は持ち合わせていない。
「………、うし」
樹輔は一度大きく深呼吸をして、覚悟を決めてその席へと向った。
まずは第一声が肝心だ。
「………こんちわ」
樹輔のやや上ずってしまったその声に、弥束衣は顔を上げた。
「あっ、榊枝くーん、久しぶり、かな」
「随分と早いな………。まだ待ち合わせの時間にはなっていないと思うけど」
「へへぇ、なんか中途半端に時間が余っちゃってねぇ」
「………さいですか」
樹輔は弥束衣の向かいの席に腰掛け、ウェイターを呼び、注文を頼む。
頼んだのは、コーラ。
「前から思ってたんだけどさ、榊枝くんってよくコーラとか飲めるよねぇ」
「はっ?当たり前じゃないっすか?」
「えぇ、そうかな?わたしはあんな辛いの飲めないかなぁ」
「はぁ………」
――――――………辛い?
コーラを辛いと表現する人を初めてこの眼で見た樹輔だった。
「あっ、そういえば」
「?」
「榊枝くんって都ちゃんと同じクラスなんだね。都ちゃんから君の噂は聞いてるよぉ」
「そう、なんですか?」
噂。なんだか嫌な響きである。
「アイツはただのロリコンだ、とか」
「………」
………………。
………あの腐れ外道………!!
三回殺す。
「あの、弥束衣さん」
「なにかな?」
「それ、嘘ですから。信じないでください」
「えっ?そうなの?」
弥束衣は本気で驚いている。どうやら信じていたらしい。
「新事実、かな!」
「………ロリコンに見えますか?オレ」
「うん」
「………」
それこそ新事実だ。

プルルッ
その時、弥束衣の携帯が鳴った。
「ん?あぁ、電話だ。榊枝くん、ちょっと待っててくれるかな?」
「あっ、わかった」
弥束衣は携帯のサブディスプレイを見ると、小走りで化粧室と書かれた一角に行ってしまった。
………
「………ふぅ」

………なんだか、本当にあっという間にオレの世界は変わってしまった気がする。

まさか栢森の友人である弥束衣が《探偵(シーカー)》などという仕事をしているなんて、思ってもみなかった。

《探偵》――――――それは名前通り探偵と同じような仕事を生業としているらしいが、それ以外のことも色々としているらしい。

簡単に言えば、何でも屋。

『誰かが失くしたモノを捜し、取り返す』

それが《探偵》。

彼女はそう言っていた。

そんな仕事を、彼女はしているのだ。

あまりに近い。

異形の世界はあまりに近く、オレと背中合わせの状態で今も存在していたのだ。

信じられないが、オレは今まで世界の1%も視えてなかったらしい。

ほんと、世界とは理解し難い。

「――――――………まぁ、どうでもいいか」
所詮そんなのオレの知る由もないことだ。
世界の実情なんて、知ったこっちゃない。
オレにはしなくてはいけないことがあるのだ。

オレはまだ――――――あいつに何も言えてはいないのだから。


「――――――ん、わかった。ありがと、くろ。じゃぁ、またね」
と、そこで声がして視線を上にやると、葵が電話を切りながら戻ってくるのが人越しに見えた。
どうやら電話が終わったらしい。

――――――………………ん、くろ?

………何処かで聞き覚えがある気がする。

………一体何処でだっけ?

「榊枝くーん!」
「なんすか?」
戻ってきた弥束衣の顔はやけに嬉しそうで、頬はやや蒸気している。
「朗報朗報!!朗が三つ付くくらい朗報だよぉ!!」
「はぁ………、なんすか?」
「いい?驚かないでね」
「はいはい、わかったわかった………。で?用件は?」
「うふふ………、じゃぁ、発表しまーす!」
「………」

まったく、いちいち大げさな人だ。そんなに驚くことでもなかろうに。


「織神さんの………、織神澪さんの、居場所がわかりました!」


オレは――――――持っていたグラスを落としそうになった。













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